本州は島の集合体だった! | 2008年12月07日 |
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最近、養老孟司先生の本を読んでいて目から鱗が落ちる話を見つけました。養老先生は虫がお好きな方ですが、虫は局地的に生息する習性があるようです。その昔、本州が東北・関東・中部・近畿・中国の五つの大きなブロック(島)に分かれていた時代、虫の生息する分布が各地のブロックに綺麗に反映するそうです。もともと琵琶湖は中国という島と中部という島の境であったようで、その名残として今の琵琶湖が形成されたようです。虫を追って自然の形態の違いに気がついた人がもう一人いました。イギリスの博物学者アルフレッド・ラッセル・ウォレスです。インドネシアのバリ島とロンボク島の間を北上し、カリマンタン(ボルネオ)島とスラウェシ(セレベス)島の間を抜けてゆくウォレス線という自然環境の境界線があります。この境界線を境にして西と東では動植物の生態系が大きく異なるのです。バリ島、カリマンタンにはアジアからの動植物が生息しています。例えばサルや、象などです。ところがウォレス線以東のオーストラリア区ではカンガルーなどの有袋類が多く生息します。昔から、このバリ島とロンボク島の間には動物には越すに越されぬ深い海溝があり、このウォレス線がアジアの動物が東進する行き止まりでした。おかげで、オーストラリア区ではのんびりした有袋類が大型哺乳類と生存競争をすることなく、今日まで生き永らえたといいます。我々が生活する自然環境も、太古の昔からの地殻の変動に影響されることがわかります。 「ほんとうの環境問題」池田清彦 養老孟司著 新潮社
逗子海岸から見た伊豆半島と富士山 伊豆半島も今から、およそ200万年から100万年前ごろにフィリピン海プレートに乗って本州にたどり着いたそうです。そして関東山地や丹沢山地が隆起しました。その丹沢も600万年から400万年ほど前に同じようにして本州にたどり着いたようですね。