シンガポールのLさんに教えられて
「思い出の沼南博物館」E.J.H.Coner著 石井美樹子訳(中公新書)を読みました。1942年2月、日本軍の侵攻で大英帝国の統治が終了したシンガポールで、当時の総督シェントン・トーマス卿に植物園と博物館の保護を日本軍に懇請するように依頼された著者の、日本統治時代での活動を描いた回想録です。著者は博物館や植物園に蓄積された科学標本や観察記録、そして膨大な書籍が逸散するのを防ぐため チャンギ収容所に行く道を選ばずに、 捕虜の立場で日本人と行動を共にしました。(改装前の
National Museum of Singapore)
東インド会社社員ラッフルズがシンガポールを開拓をするために、ナツメグ、クローヴなどの香辛料をマレー諸島から移植して栽培する試験をしたのが
シンガポール植物園の始まりである事を以前ブログで述べました。また南米アマゾン流域で生息していたゴムの木をシンガポール植物園に移植してマレー半島におけるゴムのプランテーション発展の先鞭をつけたのもシンガポール植物園での研究があったからです。 (ラッフルズ時代に最初の植物園があった
Fort Caning)
私の事務所のそばにある新宿御苑も明治の初頭、内藤新宿試験場として海外からの農作物や樹木を日本の環境で育てる研究がなされていたことを以前ブログでご紹介しました。その後、この試験場で育てられた樹木の苗木が日本各地に広がり都市の街路樹として利用されました。今、新宿御苑では新しい温室のガラスを貼る工事が行われています。大英帝国の時代、イギリスでは
キューガーデンという植物園が作られて今日に至っています。ここにもガラス張りの素晴らしい温室があるようです。
キューガーデンには、世界中に張り巡らされた大英帝国のネットワークの中から各地の植物を探し集めて、その植物の生育にふさわしい環境の植民地に送り商品化する司令塔としての役割がありました。先のゴムなどがよい例ですね。人口が増大し続ける21世紀は、人間の活動エネルギーになる植物を確保する時代でもあります。新宿御苑の新しい温室も美しい植物を見せるだけでなく、内藤新宿試験場の原点である植物研究の役割も果たしてもらいたいですね。