7月17日から19日まで浅草寺様宝蔵門前で祭礼用の提灯櫓の足場を建てるための穴掘りとブミコン舗装をさせていただきました。7月17日、18日の浅草は雲ひとつない快晴で、穴掘り作業に携わる皆さんも1時間に一度は水分補給そしなければ耐えられない厳しい環境でした。
ところが7月18日になると厳しい日差しの中でも雲が出始めて直射日光を遮るようになりました。雲が太陽を覆うと境内には涼しい風が流れ出し体感温度も下がります。前日までは1時間に一度は水分補給の休息が必要だった作業も2時間に一度の休息でも耐えられるようになりました。鉄板にあたる直射日光をガーデンクリートで遮ると10度から20度の温度差が得られます。
ガーデンクリートDHパネルの製品特性 雲により直射日光がさえぎられることで生じる温度差で体感温度はかなり涼しく感じました。
東京では9月から電気料金が値上げされます。理由の一つは福島の原子力発電所が稼動できなくなり生じた電力供給の不足分を、火力発電所等の稼働率を高めて補うために必要な化石燃料の費用とのことです。福島の発電所が作動停止してからおよそ1年半経過しましたが、火力発電による電力のバックアップ体制が続く中、おそらく大気中のCo2濃度もコストに比例して増加していると思います。でも私が生活している新宿、渋谷周辺では大気中のCo2の増加にともない気温が高くなったとはあまり感じられません。私は毎日午前7時台にiGoogleで発表される渋谷周辺の気温を記録していますが、昨年の6月、7月合計の平均気温は約23.7℃、そして今年の平均気温は約21.5℃で今年の平均気温の方が低いようです。
新宿御苑のセミの本格的な鳴き声も今年は昨年よりもやや遅れているような気がします。太陽の直射光が射し込む境内で作業をしながら雲の動きによる太陽光の遮蔽効果を体感して、大気中のCo2濃度の増加がどれほど東京の気候に影響しているのか考えました。 新宿御苑7月28日撮影
梅雨が終わり 文京区の風のガーデンも夏を迎えました。ここにきて春の彩りを添えてきたローマンカモミールに代わりクリーピングタイムがピンクの花を咲かせ高麗芝も緑の深みを増しています。クリーピングタイムのピンクの花言葉は「待機する悪女予備軍」だそうです。(貞三先生の花言葉より)
7月の風のガーデンのニューフェースは
ルドベキア・トリロバでキク科の多年草です。「目で殺せ!」というなかなか強烈な花言葉ですが下の写真をご覧になり皆さんはいかが思われますか?
「貞三先生の花言葉」倉本聰著
先日ペンタガーデンproという液状合成肥料を購入しましたがインターネットの使用方法サイトに興味深い説明書きがありました。「植物の活動が活発な午前中にお使いいただくのがおすすめです。一般的には植物には午後2時ごろには光合成の活動が休眠に入るようです。」という内容で参考になりました。
ペンタガーデン使用方法 朝の光は植物に良いという話を聞きますが、これは太陽光が朝と午後で変化するのではなく、太陽光を利用する植物の光合成の活動が主に午前中に行われるということですね。植物は日が昇るとともに働き始め午後になると昼寝をするみたいです。文京区の風のガーデンは東に面していて朝日を受けながら午後になると日陰になる環境で、風通しも良く植物には過ごしやすい環境のようですね。
先週ご紹介した物理学者
中谷宇吉郎の「
原子爆弾雑話 」は終戦直後の昭和20年10月に文芸春秋に掲載された随筆です。原子爆弾が投下されてわずか2カ月足らずの間に書かれた文章ですが、
当時の 原子力の開発に関する日米比較、原子力エネルギーの構造などを一般人向けにわかりやすく書かれた内容で、発表から67年を経た今読んでも
著者の 原子力に関する洞察は色あせません。「火薬は化合物の分子の結合の際に出るエネルギー、爆薬は化合物の分子が破壊するときのエネルギー、そして原子爆弾は分子を構成する原子の崩壊によるエネルギーである。」そして原子の崩壊については「われわれの地球上ではその創生以来堅く物質の究極の中に秘められていた恐るべき力を、とうとう人間が解放したのである。開けてはいけない箱の蓋を開けてしまったのである。これは人類滅亡の第一歩を踏み出したことになるおそれが十分にある。」と述べられています。
先日、電力中央研究所の方の講演会に参加したのですが、原子炉開発の歴史の話を聞いて民生用原子力発電所(軽水炉)、原子力潜水艦や航空母艦用の舶用炉、そして核兵器の開発に伴う技術とその統御システムはリンクしていて、原子力発電所の民生利用だけを切り離しては考えられないという印象を受けました。今回の福島の原子力発電所を襲った地震・津波被害とその後の経過を見て、原子力の平和利用とは人間の考えた方便ではないかと思いました。中谷先生のおっしゃるように原子を崩壊させるという事で、人類は自然法則の開けてはいけない箱の蓋を開けてしまったのです。
原子力が開発利用されてすでに70年以上の年月が経過しています。その間に2度の大きな被爆体験した日本はこれからは当分の間、火力発電を始め様々な自然エネルギーのリリーフを仰ぎながらも原子力に代わる新たなエネルギーの柱を造り上げて行かなければなりません。開国以来150年、西洋の文明を学びながら様々な科学的発想と技術を日本社会は蓄積してきました。これからはこれらの経験を踏まえ日本の風土と自然に最も適したmade in Japan オリジナルのエネルギーの製造供給システムの確立を目指したいですね。写真 新宿御苑と芙蓉の花 7月13日撮影 関連ブログ
:ホーム&アウェイ
都市のコンクリートやアスファルトの上で植物を育てたり気温や灌水量の測定を継続して行っていると自然の移り変わる姿と法則性が見えてきます。「木を見て森を見ず」ということわざがありますが、一つの現象でも継続して追及すると、その現象の法則性が見えてきます。木を見続けることで森が見えてくるようですね。
物理学者の
中谷宇吉郎随筆集(岩波文庫)読みましたが、心に残る文章がいくつかありました。「科学は自然と人間との純粋な交渉であって、本来平和的なものである。そういう意味での科学は、自然に対する驚異の念と愛情の感じとから出発すると考えるのが妥当であろう。(簪を挿した蛇) 自然がその奥に秘めた神秘への人間の憧憬の心が科学の心である。(原子爆弾雑話)」
インターネットで情報が瞬時に入手できる時代、様々な木を見ることは容易です。そしてコンピューターが作りだすバーチャル空間も楽しいですが、自然に目を開くには、まず自分をとりまく周囲の自然に好奇心を抱く事ですね。そしてその好奇心を持続させることで森が見えてくるのではないかと思います。