事務所のある新宿は
武蔵野台地の東端、淀橋台と呼ばれれる高台にあります。武蔵野台地は今から10000年前まで続いた更新世に形成された
洪積層の地層で山の手とも呼ばれています。洪積層は沖積層に比べて地盤が強く、古くから日本の重要建築物は洪積層が露出した土地に建てられたようです。
武蔵野台地の東に位置する新宿御苑は、江戸時代は信州高遠藩内藤家の下屋敷の敷地でした。
武蔵野台地には最終氷河期に発達した河川や氷河により洪積層が削り取られて形成された河谷がありました。そして最終氷河期後期には海面が上昇し土砂が河谷に堆積して
沖積層が形成されました。沖積層の地盤は洪積層の地盤と比べると地盤沈下、洪水、地震災害時の液状化などの被害にあいやすい場所です。私が事務所に行くときによく歩く外苑西通りは洪積層の河谷に土砂が堆積した沖積層で江戸時代、古川(恩田川ー渋谷川)が流れていました。恩田川は今でもの外苑西通りの下を暗渠として流れています。(千駄ヶ谷線)
新宿御苑の東にある玉藻池から恩田川は流れ始めました。カメが甲羅干しをしています。
その恩田川の地形上の源頭は、新宿事務所の南の新宿御苑の中にある玉藻池と下ノ池、中ノ池、上の池にあったようです。玉藻池は四谷大木戸門で分岐した玉川上水により出来た池だったようです。分岐された片方の水は暗渠を通り江戸市中に給水されたました。下ノ池、中ノ池、上の池の水は新宿御苑の西横にある天龍寺の境内の湧水から出来た池です。そしてそして玉藻池から流れた水と、下ノ池から流れた水が合流した場所が千駄ヶ谷駅の東にある外苑橋あたりだったようです。
この外苑橋のすぐそばには、今話題になっている国立競技場がありました。皆さん、国立競技場のある場所の住所をご存知ですか?新宿区霞ヶ丘町といいます。おそらく新宿御苑の2つの池から流れ出た水が合流したこの辺りはその昔、霞がたなびく沖積層の湿地帯だったのでしょう?
新宿御苑の南にある下ノ池から流れた水は千駄ヶ谷を通り外苑橋のあたりで玉藻池を水源とする恩田川に合流しました。
そのような場所にキールアーチをかけるには沖積層の土をかなり掻き出さなければならないでしょうね。試算によると10トントラックで1日当たり100台搬出しても10年、1年でかたずけるとなると1日当たり10トントラックで1000台の搬出量になる話がTVで報道されていました。都心でこのような通交量があると道は傷むし一般の通行にも支障をきたすでしょうね。しかも国立競技場の横には地下鉄都営大江戸線、JR総武線が走っています。
外苑西通りに隣接する国立競技場の跡地では整備作業が行われています。(8月5日撮影)
建築物を作るには確かにデザインも大事ですが、実際に建物が建つことが前提です。今回の新国立競技場建設騒動のなかで、キールアーチ案が却下されたのは建築資材などの高騰が大きな要因とされていますが果たして本当なのでしょうか?建築物の提案をする場合、上っ面のデザインにこだわる前に、建築物を立てる場所の地層や、周辺の情報をしっかりつかんだうえで意匠(デザイン)考えるのが建築家の基本ではないかと思います!