ヒートアイランド東京の気温 過去56年の気温の変化 2 | 2019年09月11日 |
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今回は1961年から2017年までの東京の気温の月別の変化についてご説明いたします。まず1961年から2017年までの月別の気温の変化の平均値のグラフ、1961年の月別気温の変化、そして2017年の月別気温の変化のグラフをご覧ください。
次に1961年と2017年の月別気温変化のグラフをご覧ください。1961年と1月、2月の気温が低いことがわかります。
次に1961年と961年から2017年までの月別の気温の変化の平均値のグラフをご覧ください。
次に2017年と961年から2017年までの月別の気温の変化の平均値のグラフをご覧ください。2017年の秋以降の気温が低いようですが、2014年以降、気温の観測場所を大手町から北の丸公園に移したことが一つの要因のようです。日本経済新聞2014年10月3日参照
1961年というと私が小学二年生のころです。私が生まれ育った新宿区大久保では、職安通りや明治通り周辺にまだ空き地(原っぱ)がありそこで野球などして遊んでいました。当時の東京は1964年の東京オリンピックに向けて都市の大改造が行われているさなかで、その後、高度成長と共に東京は都市化が進んでいきました。写真は2020年東京オリンピック会場の新国立競技場
都市化の途中の東京の気温と都市化が進んだ東京の気温を比べてみて、大きな気温差がないという原因はどこにあるのでしょうか?一つは気温の測定方法にある気がします。理科年表で採用されている東京の気温の測定方法は、世界(WMO)基準に準じた方法で芝生の上、地上1.5mの測定地点に百葉箱やファン付きの通風筒の中に入れた温度計で測定されているようです。測定場所は1964年から2014年までが大手町の気象庁の敷地内、それ以降が900メートルほど離れた北の丸公園内の観測地点のようですね。写真はヒートアイランド東京のオアシス新宿御苑のポプラ並木。夏でも木陰の体感温度は低いです。
自然により近い環境で測定された気温は、アスファルトやコンクリートの上で測定された気温とは大きな差が出ます。私は以前、8月の始めの午後2時に日陰の状態でコンクリート表面と芝生の表面で温度を測定したことがありますが、コンクリートと芝生の表面温度差は20度以上ありました。風のガーデンの温度測定
1961年から2017年までの気温の変化を見て、自然に近い環境設定をした東京の測定地点での気温は、冬の気温は上がりましたが夏の気温は大きな変化が見られないようです。そして測定地点が変わり秋の測定気温が低くなったようですね。56年にわたる東京の都市化の影響で、コンクリートやアスファルトに覆われた場所での気温測定値は高くなりましたが、自然に近い環境設定の基では東京の夏の気温に大きな変化が見られません。それは人間が作りだす都市環境への影響に比べて、太陽を中心とした自然が都市環境に与える影響力がとても大きいということかもしれませんね。しかしながら風のガーデンの温度測定でも見られるように、コンクリートジャングルとアスファルト砂漠に覆われたヒートアイランド東京に緑のオアシスを作ることで、そこで人が体感できる温度を下げることは可能です。
コンクリートのベランダの上に3㎝厚みのガーデンクリートと灌水システムを組み合わせた緑化基盤の上では真夏でも様々な植物が元気に育ちます。関連ブログ:都市の温暖化と地球の温暖化