三佐和ブログ


科学と宗教の関係 2020年04月21日

アメリカの物理学者R.Pファインマンのエッセイを読んでいますが、心に響く文章を見つけました。「たとえばこの宇宙の大きさを考えてみますと、この僕らが乗っかっているケシ粒みたいにちっぽけな地球は、太陽のまわりをグルグル回っているわけですが、その太陽はこの銀河系の中にある何千億もの太陽のうちの一つにすぎず、おまけにこのような銀河系が、まだまだ何十億も散らばっているというのですから、まったく気の遠くなりそうなスケールです。(中略) さらに不変の法則に従って万物を構成している原子はどうでしょう。この世に原子なしに出来上がっているものなどはいっさいありません。つまり星も動物も全く同じ材料からできているわけですが、その同じ材料の非常に複雑な組み合わせによって、例えば人間のように不思議に生きているものが出来上がるのです。」

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「宇宙の歴史を通して見ますと、むしろ人類のいなかった時期の方が遥かに長く、現在ですら宇宙のほとんどが無人地帯です。そのような人間抜きの宇宙がどんなものか、人智を超えた宇宙を考えてみるのは何とも言えぬ壮大な冒険です。こうして客観的なものの見方が身につき、物質の神秘と壮大さを十分に悟ることが出来たら、その客観的な眼を今度はただの物質である人間に戻すのです。そしてこの深遠な宇宙の神秘の一部として生命を見直すのは、今まで描かれたためしのない、たぐい稀な経験となるでしょう。(中略)こうした科学的な世界観の行き着くところは、不確実さの深い淵に臨む畏怖と神秘です。」 科学と宗教の関係 聞かせてよ、ファインマンさん岩波現代文庫

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